英語脳
昨日は家族全員体調がすぐれず、ましてやritoが定期テスト前のため、家に籠って勉強モード。
ritoが英語を和訳するからチェックしてというので、久々に英語長文を読む。
時々「えっ、この単語知らない。」というのもたまに出てくるけど、概ね意味はわかるので気をよくして、やっぱりもう1回英語勉強してみようかな?とも思うのだけど、私は日本語脳(そんなのあるのか知らないけど)が強すぎる気がして、話せるようになる気が全然しない…
(どうせやるならspeakingだよね)
学生時代、英語のテストの成績は悪くなかったけど、英語が得意とは1度も思えず。暗記でまかなえる部分(単語や発音記号など)をそこそこ押さえて、あとは配点の高い長文問題で勝負していたので、文法などが一切身についていない。
長文は私にとっては”知っている単語からの連想ゲーム”で、国語のクイズのようなもの
(何度も読んで日本語訳を頭の中に構築出来れば、昔の問題形式ならたいてい解答できた)
だったから、かえって日本語脳が強化されたのではないかと思うくらい。
ritoは特別英語の習い事などはしなかったけど、なぜか他に比べると英語は得意のよう。
「ピアニストの脳を科学する:超絶技巧のメカニズム 著:古屋普一」によると、ピアノ学習者は言語を聴き取る能力が高い傾向があるらしい。(この本は、ここ数年の中でかなりの感銘を受けた素晴らしい本!)少しはピアノの影響もあるかな?
英語、せっかくなので是非話せるようになってくれたらいいなぁ、とも思うし、それにもまして最近強く思うのは、この時代、いくらでも世界中の様々な知見や著作、論文にアクセス可能なのに、英語がわからないとリアルタイムでその恩恵にあずかることができない、それはとても勿体ないなぁ、と。
自分がここのところ「この本、面白そう!あ、和訳出てないのか。」と思う機会が多いののはもちろんだけれど、昔、心理学の勉強をしていた頃を思い返してみても、今、ピアノや身体トレーニングの勉強をしていても、さきほどホメオパシーの本を読んでいても、日本って偏っているなぁ…と思うことも増えてきて。
当時、政府や一部の人が輸入したローカルな考えや方法のみが伝播されて、みんなそれが唯一正しい方法だと思いがちな気がする、島国特有の国民性もあるのかな?
先週、高校の保護者向けセミナーで、講師の東進ハイスクールの方が仰っていたが、英語脳が出来るのは15,6歳までだそう。話せるようになるのはやはり厳しい気がするけれど、読む聞くだけでも楽しいのでチャレンジしてみようかな。
ちなみに、今回、英語長文につきあっていて1番盛り上がったのは
『high blood pressure』という単語を読んだ時。
「へー! こう!けつ!あつ!(高血圧)かぁ!!そのまんまじゃん!!」
とテンションが上がってritoに笑われた。英語の概念が先に入ってきて、それに漢字を充てたのかな?
でも今は昔に比べて、英語がずいぶんと日常的に入り込んでいるので、楽になっている部分もある気がする。productなんてね、訳さなくていいじゃん、プロダクトのままで。なんて言ったら勉強にならないか。
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